神も仏もあるものか。(失踪218日目)
祖母の言葉である。
「神も仏もあるものか」
不条理を生きた人の重い言葉だ。
だから、我が家は墓を持たないし、クリスマスもない。
祖母が死んだとき、まともな葬式をあげることはなかった。
火葬して骨を骨壺に入れて終わり。戒名もない。
墓がないので納骨もしない。
死んでから35年ほどたつが、骨の入った壺は今もそのままの姿であるのだろう。
ここまでは前振りで、本題はクリスマスがない話である。
子供のころのクリスマスの思い出がない。
何かしら惨めな記憶があってもいいのだが、不思議なことにほとんど何もないのだ。
クリスマスという概念がないのだから、記憶がないのは当然かもしれない。
サンタクロースだとか、ケーキだとか、プレゼントだとか、何もない。
概念がないのだから、悲しくもない。
サンタクロースの存在を信じていた、なんていう人がいるけれど、私にはそれが信じられないのだ。どう育てば、そうなるのか?
私は、神も仏もサンタクロースも信じない。
だが、それらの概念の存在は信じる。
そして、サンタクロースが存在すると信じる人の存在は信じることができる。
それが私の限界だ。