無職になって3年・・・、その感想。(失踪316日目)
無職になって3年が経った。
3年前の春、私はぼんやりとしていた。
これから何をしようか?
まあ、いいか。そのうちに。
今は解放感を楽しもう。
仕事を辞める時、「世界が崩壊する前に自由になるんだ」と言った。
本当に平穏な世界が崩壊した。
思いもよらぬ事が次々起こった。
疫病に翻弄され、失踪を実行した。
今は第三次世界大戦の最中でさえある。
未来は本当に読めない。
私に残る時間は長くない。
もっと自由に生きよう。
過去からも未来からも逃走しよう。
行くべき場所も、帰る場所も、ない。
私はただ放浪する。
所得金額5万円で確定申告する理由。(失踪292日目)
確定申告を提出した。
面倒だが無職とって重要な作業だ。
何故なら、金が重要だからである。
「余計な金は1円たりとも払わない。使いたくない。」
これは吝嗇とは違う。
あえて言えば、生活の知恵、よりよく生きるための方便、である。
今回の私の方便はこうだ。
去年の収入金額は約53万円。全て個人年金収入である。
この収入を得るため約48万円を使っている。(積立てに要した金額)
なので、差額5万円(利息)が所得金額となり、この金額に対して課税されることになる。
しかし、基礎控除が48万円あるので、5-48=ー43万円。
課税金額は0円となる。
課税金額が0円なのに、なぜめんどうな確定申告するのか?
確かに1年前の今頃は疑問に思っていたが、提出しといてよかった。
それは、
①国民年金保険料の支払い免除申請が簡単
確定申告していたので簡単に免除申請ができ、申請が通過した。
今年度も引き続き申請するので、確定申告は必須である。
もう国民年金保険料は払わない。
②特別給付金がもらえた
確定申告してなくてももらえるだろうが、申告しとけば給付がスムーズだ。
今年も確定申告を提出した。
提出の方法は、あえて紙ベースでの提出。
役所に対する嫌がらせである。
あ、そうそう。
今年から申請書への押印がなくなった。
書類に赤い判がないとなんか物足りない気がした。
そう感じる無意識の自己に不気味さを感じる。
私の殆どは自動化され、自由意志は失われているだろうね。
バラまかれた金を拾い集める。(失踪266日目)
住民税非課税世帯給付金の案内が来た。
案内が来た私は、非課税世帯の世帯主であり、当然10万円を受け取るつもりだ。
私は、バラまかれた金はよろこんで拾う。
すぐさま確認書にサインし、返送した。
今月中には入金されるようだ。ありがたいことである。
これはある意味、日本の税制のおかげ。
日本では貯金がいくらあっても、貯金自体には課税されることがない。
貯金から得られるキャピタルゲインに対しては課税されるが、年間20万円以下は申告の必要がない。
要するに、「我が国においては働いて中途半端に収入を得ることが最も損」なのである。
日本の中間層は、日本の税制システムの中では勝てない。
無理ゲーってやつだ。
私はゲームに参加せず、奴隷制度の外側を生きている。
そこにこぼれ落ちてくる上澄みをすくって飲む。
オミクロン感染拡大の温床は学校(失踪258日目)
窓から小学校の正門が見える。
授業開始のチャイム、関西弁の校内放送が漏れ聞こえる。
校内の様子も伺える。子供たちの騒ぎ声が響く。
ここに住み始めた頃、全てが煩わしかったが、今は逆だ。
愉快な、面白すぎる眺めだ。
小学校の正門は人間社会の入口といえる。
一度門をくぐれば、他者との競争と共存という相反する2者のバランスを強いられ続ける。めんどくさい地獄だ。
この地獄の門を他人事として眺めるから愉快なのである。
SIM-SCHOOLとでも名付けようか。
ところが、先週から地獄の門が閉じている。
今週も閉じたままだ。
思いつくのは、コロナによる休校だ。
間違いない。
子供たちはマスクのようなものをしてるだけで、感染対策はゆるゆるだから、感染は拡大してまうよね。
とうとう、学校が感染の温床になってしまている。
オミクロン株の感染拡大スポットは、飲食店じゃなくて学校だ。
門の内側は地獄だらけ。
しばらくは、地獄の門の番でもしていよう。
最大の好奇。じぶんの死について考える。(失踪247日目)
最近、毎日自分の死について考えてしまう。
意識的ではないが、つい脳裏に浮かぶのである。
決して死にたいと思っているのではない。
自分は一体どういう死に方をするのだろうか?という興味である。
これはひょっとすると最大の好奇なのではないか。
どうやらコロナでは死なない気がするな、とか。
あっけなくバイクで事故死、とか。
思いの外、死のバリエーションは少ないものだ。
40歳の頃は、75歳で癌に罹患し77歳で死にたい、と思っていた。
でも激痛の伴う癌はいやだな、とかね。
55歳の今は、自分で死ぬ時を選びたいと思うようになっている。
これは自死ということなんだろうけれど、意識的に死にたいのである。
それは、死とは何か知りたい、などという崇高な目的ではなくて、ふいに自分が消失することは耐え難いのだ。
他者に迷惑をかけず自死する権利はあると思うんだけど。
人が、人類は持続不可能な種族だと見限るその先に期待しよう。
その時は、そう遠くの未来なんかじゃない。