没後50年、三島由紀夫の死の謎。「豊饒の海」の舞台を訪ねた話
1970年11月25日、三島由紀夫は自衛隊市谷駐屯地で自決した。
50年経ったが、今もその死には謎が多い。
晩年の三島は奇行が過ぎたが、天才故の有り余る苦悩がそうさせたように見える。
その苦悩とは何か?
天才の尋常でない感覚を理解することは困難であるが、絶望的な孤独を感じていたのではないか。
この世界が自分を受け入れることは決してない。
何の因果か関西に転居したので、三島の最高傑作「豊饒の海」に登場する重要な寺(作品上では月修寺、モデルは圓照寺)を訪問した。
その寺は奈良にある。
JR奈良から2駅の帯解駅で下車。
徒歩で15分弱で入口に到着する。
寂れた感じを想像していたが、違っていた。
少し歩くと、砂利道となる。
緑が深くなる。
前門が見えた。
10分程度で到着。
これ以上進むことはできない。
物語の中に、この道を進む場面が幾度か出てくる。
三島もこの道を歩いた。
歩んだ果てに何もないことを、歩む前から悟っている。
それでも歩むしかない。
この道は、そういう道だ。
三島は、輪廻という永遠を信じていない。
三島由紀夫は、死のうとして死んだ。
死とは何かを見たくて死んだ。
死という永遠を信じた。