最大の好奇。じぶんの死について考える。(失踪247日目)
最近、毎日自分の死について考えてしまう。
意識的ではないが、つい脳裏に浮かぶのである。
決して死にたいと思っているのではない。
自分は一体どういう死に方をするのだろうか?という興味である。
これはひょっとすると最大の好奇なのではないか。
どうやらコロナでは死なない気がするな、とか。
あっけなくバイクで事故死、とか。
思いの外、死のバリエーションは少ないものだ。
40歳の頃は、75歳で癌に罹患し77歳で死にたい、と思っていた。
でも激痛の伴う癌はいやだな、とかね。
55歳の今は、自分で死ぬ時を選びたいと思うようになっている。
これは自死ということなんだろうけれど、意識的に死にたいのである。
それは、死とは何か知りたい、などという崇高な目的ではなくて、ふいに自分が消失することは耐え難いのだ。
他者に迷惑をかけず自死する権利はあると思うんだけど。
人が、人類は持続不可能な種族だと見限るその先に期待しよう。
その時は、そう遠くの未来なんかじゃない。