私はドアの鍵をかけない。(失踪181日目)
私の実家は玄関の鍵をかける習慣がなかった。
実家は田舎で安全だったこともあるが、そもそも玄関に鍵がなかった。
まあ、家財道具のほとんどは貰い物か拾い物で、当然金庫なんぞあるはずもなく、鍵は必要なかった。ある意味、持たざる者は強いよ。
そして今、私は再び玄関の鍵をかけない生活をしている。
私が鍵をかけない理由。
①面倒だから
②大した家財道具はない
③他人の住居
だが、そんなことは表面的なことで、本当の理由は「何も所有したくない」からだろうと思う。私の中の価値判断では、「所有」=「不自由」なのである。
物心ついた時から、不自由さを感じていた。
いつもこの不自由さから逃げ出したいと思っていた。
私は、この不自由さから逃げ続け、失踪に至っている。
だから、不自由を感ずるものすべてを遠ざけようとするのだ。
部屋に鍵をかけるとき、私は私の所有を認めることになる。不自由の一つを甘んじて受け入れることになるのだ。
この不自由の正体は何か?
そろそろ決着をつけようではないか。
不自由さは、私の生まれである。門地である。
私は私の生まれから解放されたいのだ。
私は「親ガチャ」外れたから、ガチャ玉捨てたのだ。