清貧とは何か?暖房器具は電気毛布だけの話
寒くなった。
我が家の暖房器具は電気毛布だけである。
2,000円くらいだった。
昼間は、足の上に掛け、コタツのように使う。
就寝時は、掛け布団として使う。
厚着をしれいれば、これで凍えることはない。
十分だ。
できるだけ物を所有したくない。
これを、清貧と呼べるのか?
清貧とは、貧しくあろうと望むことなら、私は清貧ではない。
唯の、貧乏性である。
私は、貧しい家庭に生まれ、育った。
小・中・高・大、どの社会でも、他者と比べて貧しかった。
母集団の中で最も貧しくはないが、確実に下位10%には入っていた。
東京で働くようになって、益々際立ってきた。
私の周りの人々は、皆、信じられないほど豊かな子供時代を送ってきていた。
生家には、電話も風呂もなかった。
そんなことは誰にもいえないが、劣等感は感じなかった。
それは、東京だったからだ。
東京では、他者は他者に無関心を装う。
その無関心さを隠れ蓑にし、出自をうやむやにできた。
東京は、私にとって生きやすい場所だった。
無職になり、東京も離れ、貧しさは残る。
清貧には程遠い。