演劇
計算しつくされた会話群で構成された演劇。 会話には、七か国語が入り乱れる。 それが、この演劇の次元を一つ高くしている。 脳が混乱し、何かが覚醒するような予兆。 此処に、言語の壁を乗り越える術があるかもしれない。 演劇でしかできない表現手法だろう…
超脱力系劇団・ワワフラミンゴの「くも行き」を観た。 どこまでもゆるい役者の所作。 台詞で構成された演劇だが、脈絡はない。 会話に意味はない、遊びですらない。 始まりも、終わりも、明確な何かも、ない。 そして、わざとらしさや嘘がない。 どこまでが…
観劇の醍醐味は小劇場にある。 舞台と客席とが近接し、境界が曖昧だからだ。 多くの小劇場は自由席で、先着順に席を選ぶことができる。 好みの席を確保するため、開演1時間前には劇場へ行くことにしている。 そして、最前列の右端か左端を選ぶ。 開演まで3…
私は、無アクセント地帯で生まれ育った。 無アクセント地帯とは、 アクセントで区別する同音異義語(例えば、「はし」である、「橋」「端」「箸」)をアクセントで区別しない地域のこと。 無アクセント地帯の起源は、その地域が国境付近であり、どちらの国に…
家族の話だった。 家族が家族であるために苦悩する話だ。 耳が痛い。 家族とは何か? 家族とは一緒に暮らすことである。 家族は、離れて暮らすと家族ではなくなる。 離れていると、喜び、悲しみ、生の感情がまるで見えない。 実家から離れて35年。 新しい家…
本作は、異文化コミュニケーションコメディ。 「工場」が、労働力不足により、他国から労働者を受け入れる。 結果、「工場」の日本的日常(ラジオ体操、ミーティング、非常訓練)が、 相互不理解領域へ変貌。 舞台内では、悲劇と喜劇が小刻みに入れ替わり、…
舞台を観るには、白昼がよい。 好天だと尚更。 現実世界から舞台世界への敷居は、高く、ずれている程いい。 平田オリザは、現実と舞台の境界を曖昧にする。 いつともなく始まり、終わりに気づかないよう終わる。 そのわざとが、かっこいい。 世界(現実)と…
意識して、毎日やりたいことだけやっている。 今日は、昼間から舞台鑑賞。 昭和に書かれた台本だった。 嫌な感じはしていたが、長ゼリフから始まった。 そして、言葉ばかりが延々と続く。 昭和では、語ること、語られる言葉自体に価値があった。 今では、言…
劇団名が好みだった。 「スペースノットブランク」(space not blank) 虚無ではなく虚空、と勝手に訳した。 世界は無でなはく、虚空が在る。 演者は演者に向かって言葉を発することはない。 舞台空間の虚空に向かって、身体全部を使って語る。 語られた言葉…
人生をゲームとみなすなら、それは残酷なゲームだ。 結局、死ぬし。死なないと終わらない。 だから、その終わりが、勝ちなのか、負けなのか、わかりえない。 でも、ゲームは続く。 仕事をやめても、ゲームが終わるわけでなはい。 独りでサイを振って、進む。
演劇をよく観る。 週に2本程度観ていたこともある。 首都圏には劇団が4000程度、定期的に公演を行っている劇団は200程度だそうだ。 最初は物珍しさも手伝って、色々な劇団を観た。 50程度の劇団を観終えたあたりで、だいたい演劇界を一周したなと感じた。 …