無職はPiTaPaが買えない。(失踪205日目)
関西圏の鉄道は、JRが弱く私鉄が強い。
何が言いたいかというと、
「関西私鉄ではモバイルSuicaが使えない所があって不便極まりない」のだ。
なので、仕方なくPiTaPaの入手を試みた。
軽い気持ちで取得申請をしたが、審査不合格の通知が来た。
ん-。PiTaPa収入がないと入手できないのだ。
PiTaPaカードは他の交通系カードと違って、料金が後払いである。
つまり、前借りするのだ。
だから、信用が低い人はカード発行を拒否される。
無職は不自由だ。
退職前にクレジットカードをいくつか作った。
無職になると作れなくなると思っていたからだ。
それらは、2年後位更新時期がやってくる。
その時無職だと更新できないかもしれない。
クレカがないととても困る。
来るべき日のために、3枚位のカードを集中して使っている。
実績で信用を繋いでいくいくしかない。
PiTaPは諦め、ICOCAを作った。
失踪者、美術館へ行く。(失踪202日目)
大阪は美術館や博物館が少ない。
東京と比べると、量と質でずいぶん見劣りする。
京都、奈良、兵庫を加えた関西圏というレベルで考えると、関東圏と比較しても妥当な数なのだろうが・・・。
やっぱ、浪速は「花より団子、食い倒れ」なのだ。
大阪市立美術館「メトロポリタン美術館展」を観覧した。
ニューヨークのメトロポリタン美術館が改修中なので実現した展覧会らしい。
しかも、東京よりも先に大阪に来たのだ。
美術館へいくのは一年ぶりである。
失踪しても美に触れるてもいいだろう。
お目当ては、たくさんあるが、
やはりセザンヌは素晴らしい。西洋絵画の一つの極致だと思う。
意外だったのは、ルノアールに見惚れてしまったことだ。
そもそも、ルノアールは輪郭がボンヤリしてて全く好みじゃない。
その点でセザンヌとは真逆だ。
だが、実物を目にしてその印象は一変した。
ルノアールは、美そのものだった。
やはり好きではないが、魅入られた。
その美を畏れた私は、衝動を覚える。
この絵に近づき、両手で持ち上げ、床に叩きつけ、両足で踏みにじる。
この絵を、この美を破壊したい衝動に駆られる。
やはりこの絵が有する美は本物だ。
今の私は美の対極にある。美と共に生きるなどできはしない。
だから、美をなきものにしたいのだ。
私は、美に恐怖しながら生きる。
今日もやることないなんて、何と素晴らしい。(失踪196日目)
目が覚めても、時計も見ず、またうつらうつらする。
寝るのにも飽いて、だらりと起き上がり、トイレに行く。
ぬるいココアを飲む。朝の糖分補給がゆるやかな目覚めを促す。
今日も、やれねばならぬ事は何一つない。
「やることない」なんて、なんと素晴らしいことか。
自分以外の何者かに感謝したくなる。
「仕事辞めてなにするんだ?」
退職前によく聞かれた質問だ。
「何もしない」
そう、答えてもだれも信じなかった。
「「何もしない」を続けるなんて不可能だよ。」
「いや、できると思うよ。そして、やればどうなるかが知りたいんだ。」
「何もしない」を続ける。
それは、ゆっくりとどこかへ落ちていく感覚。
落下速度を感じない程の重力に支配された感覚。
ほぼ宙に浮いているといっていい。
ふわふわと空を漂う。
外は強風だが私の意識は無風。
この感覚が好きだ。
私はドアの鍵をかけない。(失踪181日目)
私の実家は玄関の鍵をかける習慣がなかった。
実家は田舎で安全だったこともあるが、そもそも玄関に鍵がなかった。
まあ、家財道具のほとんどは貰い物か拾い物で、当然金庫なんぞあるはずもなく、鍵は必要なかった。ある意味、持たざる者は強いよ。
そして今、私は再び玄関の鍵をかけない生活をしている。
私が鍵をかけない理由。
①面倒だから
②大した家財道具はない
③他人の住居
だが、そんなことは表面的なことで、本当の理由は「何も所有したくない」からだろうと思う。私の中の価値判断では、「所有」=「不自由」なのである。
物心ついた時から、不自由さを感じていた。
いつもこの不自由さから逃げ出したいと思っていた。
私は、この不自由さから逃げ続け、失踪に至っている。
だから、不自由を感ずるものすべてを遠ざけようとするのだ。
部屋に鍵をかけるとき、私は私の所有を認めることになる。不自由の一つを甘んじて受け入れることになるのだ。
この不自由の正体は何か?
そろそろ決着をつけようではないか。
不自由さは、私の生まれである。門地である。
私は私の生まれから解放されたいのだ。
私は「親ガチャ」外れたから、ガチャ玉捨てたのだ。